こんにちは!土佐あかうし先生🐂です。
前回は、子牛が落ち着きなくウロウロしている時に何を考えるか、という話をしました。同じ動きでも、発情なのか痛みなのかで意味がまるで違う、という回でした。
今回は目線を引いて、牛そのものの話です。「和牛」と聞くと1種類の牛を思い浮かべる方が多いのですが、実は和牛は4つの品種の総称です。黒毛和種、褐毛和種、日本短角種、無角和種。黒、茶、短、無。なぜ4つも生まれたのか🤔、一緒にたどってみます。
■ 和牛はもともと「食べる牛」ではなかった
和牛は昔、食べるための牛ではありませんでした。
農林水産省の資料によると、日本の在来の牛は稲作といっしょに大陸から入ってきて、田畑を耕すことと堆肥づくりのために各地で使われていました。動く農機具であり、肥料工場でもあったわけです。
面白いのが江戸時代です。中国地方で「たたら製鉄🔥」が盛んになると、砂鉄や木炭を運ぶために足腰の強い牛が使われました。用途に合った牛が、各地にいたのです。
牛が肉用に変わったのは昭和30年頃から。農作業や運搬が機械に置きかわり、人間の都合で仕事を失った牛が、肉の牛になりました。
■ 土地の仕事が、牛の体をつくった
では、なぜ4種類もできたのか。答えは単純で、土地ごとに牛にさせたい仕事が違ったからです。仕事が違えば、必要な体つきも変わります。
高知県の資料によると、土佐あかうしのもとは、明治のなかばごろに県外から入ってきた褐色の役牛だとされています。おとなしくて動きが機敏、暑さ🥵にも粗末なエサにも耐える。水稲二期作の高知には、これ以上ない相棒でした。中でも目のまわりや鼻先、しっぽの先が黒い「毛分(けわけ)」の牛が好まれ、大正7年からは県内の牛だけで改良が重ねられました。
東北の岩手にいるのが日本短角種です。ルーツは、旧南部藩で物資を運ぶために飼われていた「南部牛」。ここにアメリカのショートホーン種をかけ合わせた牛です。運送屋さんの血筋で体は大きく、寒さに強い。夏は親子で山に放し、冬は牛舎で飼う「夏山冬里」が今も残ります。
無角和種は、始まり方が変わっています。大正9年、アバディーン・アンガス種の血を引く種雄牛が1頭、国の試験場から山口県へ入り、この1頭が在来の牛と交配されたのが出発点。名前のとおり、角がありません。
いちばん数の多い黒毛和種も、明治以降の雑種を各県が独自の目標で整理し直したもの。全部、その土地の事情から生まれています。
■ 数で見ると、とんでもない差がある
令和7年1月末の数字(農林水産省の資料)で、和牛は全部で約176万頭。うち黒毛和種が約170万頭で、全体の98.4パーセントを占めます。褐毛和種が2万2千頭で1.3パーセント、日本短角種が5千6百頭で0.3パーセント。そして無角和種は約220頭しかいません。
100頭のうち98頭が黒毛。残りの2頭に、あとの3品種が全部入っている計算です。
無角和種は昭和38年に9,790頭いたと阿武町の資料にあります。日本短角種も、平成28年1月末の7千5百頭から令和7年1月末の5千6百頭へ、今も減り続けています。⚠️
その中で土佐あかうしは違う道をたどりました。昭和30年代の3万頭以上から平成26年には1,595頭まで落ち込み、令和6年2月には2,445頭までV字回復しました(農畜産業振興機構の資料より)。数の減った品種は、放っておけば静かに消えます。誰かが「守る」と決めないと残らないのだと、数字が教えてくれます。
■ 肉の個性も、ちゃんと違う
黒毛和種は、サシの入りやすさで世界的に知られた品種です。いわゆる霜降りは、この牛の得意分野。
一方の土佐あかうしは、黒毛に比べてサシが入りづらく、赤身が多い。だからこそ赤身そのもののおいしさが持ち味です。高知県の資料では、甘みを感じるアミノ酸の総量は黒毛の2倍以上、熟成すると4倍まで増えるとされています。
日本短角種は、岩手県の資料によると低脂肪でうまみのアミノ酸が豊富な赤身。無角和種は、肉が柔らかく和牛らしい風味があり、赤身に富むそうです。
正直に書くと、私が毎日見ているのは土佐あかうしと黒毛だけです。短角と無角は資料の中でしか知りません。実物にはまだ一度も会えていない。いつか、夏山に放たれた短角の親子を見に行きたい👀と思っています。
■ 最後に
和牛4品種は、誰かがデザインした4種類ではありません。その土地の気候と、そこにあった仕事が、時間をかけて4つの形にした結果です。農林水産省の資料は、和牛の遺伝資源を「我が国固有の知的財産」と書いています。畑を耕し、砂鉄を運んだ牛たちの積み重ねが、そのまま財産になったのだと思います。
黒、茶、短、無。次にお店で牛肉を見かけたら、その裏に4つの土地の物語📖があることを、少し思い出してもらえたら嬉しいです。
🔔 次回予告
【第60回】鼻紋は牛の指紋!10桁の番号で守られる食肉管理


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